「誰にも言えない話」

誰にも言えないことをお話しよう。

 

アナタには誰にも言えない秘密はありますか?

 

ちなみに僕は必要であれば平気で「ウソ」をつく。

なぜなら、自分に正直に生きるために他人にウソをつく場面があるからだ。

 

お断りしておくが、ここで話す内容は事実である。

しかし…

本当に理解できる出来る人はほとんどいないであろう。

だから「誰にも言えない話」であり、

誰にも言っていないのだ。


「断食」の体験談


 その昔、僕は知人に「断食」の体験談を聞いた。

ライヴを一緒に観に行った帰りの車内で会話していたのを覚えている。

 

「オレ昔、断食体験に参加したことあるんや。数日後断食終了してから食事するんやけど…

その時一緒にその場にいたヤクザ風のコワモテのオッサンが涙流しながら食事してたわ」

そう知人は笑いながら話した…

 

 「へー、すごいですね!

タバコは吸ってもオーケーなら断食やってみたいです」

そう答えた僕は、その話を半分バカにしていた。

 

そのような他愛のない会話であった。


「死」を感じた日


忘れもしない2023年12月10日…

 

それはフツーの風邪の症状から始まった。

僕にとってインフルエンザやコロナは自力で治せる自信があった。

なぜなら、これまで自力で治す方法を知っており、二~三日で完治していたからだ。

もっとも、自力で治してきたから病院には行っていない、すなわち病気とは判断されてはいない。

 

しかし…

これまで経験したことのないような「痛み」が僕を襲った。

微熱状態であるが、リンパの痛みで眠れない。

 

その激しい「痛み」を感じながら僕は

「死ぬかもしれない…!」

と直観的に感じた。

なぜなら、リンパを突破されればそのウイルスは脳や肺へ行き、

僕は死ぬのかもしれない。

 

僕は死ぬのか?

 

そう感じた時、

おばあちゃんとおじいちゃんの笑顔が頭の中を駆け巡った。

 

「可愛いお孫さんですね」

 

そう言われて嬉しそうに赤ちゃんを抱く姿… 

 

 

 

生まれてきたことに感謝する僕が今ここにいた。

しかし…

ここで死んだら犬死にだろ?

「僕はまだ死にたくない」

 

「僕は生きたい!」

そう切に願った…


「異変」


24時間後、僕の「痛み」は去っていった。

食事をとり少し元気を取り戻して日常生活をフツーに過ごしていく。
微熱と味覚障害が約二週間続いたが気にしなかった。

「生き延びた」ことに感謝していたからだ。

 

生あるものは必ず終焉を迎える

 

だからこそ

 

この一瞬を自分らしく生きるのだ!

 

言葉で言うのは簡単であるが…

僕は「まだ死にたくない」

もっと言えば「死ぬのが怖い」

と、思った。 

 

 

 

2023年を終わりを告げる頃、実家の自室を黙々と「そうじ」をしている自分自身がいた…

そして、ある異変が起きた!

 

 薄暗く狭い実家の自室で、お父さんが死んだ時の光景と最期の姿(骨)を見た時のことを思い出していた。

そして自分自身の両手を広げて動かす…

 

動いている!?

僕は生きているんだ!

 

すると、涙が溢れてきたのである。

 

死を見て、生を感じ、そして「今この瞬間」に感謝しているのか?

 

そして、さらに「ソレ」は加速していく…


「あたりまえ」が「ありがたい」


2024年2月11日。

窓から見える風景を眺めていると、涙が溢れてきた。

理由は分からない。

 

涙が流れるというより、むせび泣きに近かった。

 

さらに数日後のことである。

自室で食事をとっていたのだが…

涙がとめどなく溢れてきたのである。

「おいしい」

理由はそれだけであった。

 

「いまここに僕が生きている」

という日常を感じ、自然と涙が溢れてきたのだ。

 

「あたりまえがありがたい」

という言葉はよく言われてはいるが、その感情をダイレクトに味わったのかもしれない。

 

これまでの人生においてこれほど凄まじい感情を味わったのは初めてであった…

 

この先もこのような感情を抱き、涙することがあるのだろうか?